オナメ・モトメ

更新日:2024年02月01日

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八幡平の後生掛ごしょがけは「地獄谷」と呼ばれ、昔から庶民の湯治場とうじばとして親しまれてきた。今も一帯は火山現象がさかんで、日本一といわれる泥火山、大湯沼、地獄谷などの有様は地球の創世期を思わせる珍しい風景である。後生掛の地獄谷には、すさまじい熱湯と蒸気の噴出する穴が二つ並んできそい合っているが、ここにはオナメ・モトメという伝説が語られている。

江戸時代も中頃のこと、今の岩手県雫石方面から仙岩せんがん峠を越えて、秋田県の生保内おぼない方面に荷物を運ぶ牛方うしかたがいた。その名を喜平といった。

あるとき喜平は、たくさんの荷物を積んだ牛を五頭も追って仙岩峠を越えた。もう少しで生保内につく所まで来た時、突然五、六人の追剥おいはぎにおそわれた。追剥は牛の背の荷物を奪っただけでなく、喜平を半殺しにし、牛もみな殺して逃げてしまった。

仮死の状態で道端に倒れていた喜平は、情深い旅人に介抱かいほうされて、ようやく息を吹きかえした。

それから喜平は、体の回復にたいへんよくくと人から聞いた後生掛の湯に来て養生することになり、粗末そまつな笹小屋をかけて痛めつけられた体をいやしていた。

ある日、両親を失った一人の巡礼娘が、親の供養で恐山や仏ヶ浦をまわったあと、八幡平をめざしていたときにここを通った。

見ると全身傷だらけの若者が、露天ろてん風呂に入った後の体を静かに休めているところであった。喜平のあまりにも痛ましい様子を見捨てておくことが出来ず、巡礼娘は薬を作ったり、身のまわりの世話をしたり、心をこめて看病し、介抱かいほうを続けた。おかげで喜平はもとの元気な体になった。

その後、二人は夫婦となり、喜平は夏には牛方を、冬にはマタギをしながら、二人仲よく幸福に暮らしていた。

ところが、喜平には雫石村(岩手県岩手郡雫石町)で牛方をしていた頃に妻がいた。その妻は仕事に出かけたまま帰らぬ夫のことを心配しながら生活していたが、どうしても夫の安否あんぴを確かめたいと思い、はるばる旅を重ねて、人づてに夫が住んでいるという後生掛に尋ねてきた。

ところが、そこには喜平と仲むつまじく暮らしている巡礼娘の姿があった。

妻はすでに喜平の心が娘に移ったことを知ると、いまさら昔にかえすすべもなく、死んでこの世の煩悩ぼんのうとうと、地獄谷の大噴湯めがけて飛び込み、自殺をしてしまった。

一方、人の夫を奪った罪の深さにおびえ、悔悟かいごの思いにえかねた娘も後を追うように身を投げこんでしまった。

その時、突然ドーンという大音響とともに、二つの噴泉が新たに出現し、それ以来、互いに相競うようにゴボー、ゴボー、ゴーと無気味な音を立て、たぎる熱湯を噴出し続けている。

喜平はその後、罪障ざいしょうの深さと前世の悪縁あくえんを払うように、ひたすらに二人の女の後生を弔いながら生きることとなった。

大きな石に二人の女の戒名かいみょうを刻み、その石の前にひざまずき、祈りを捧げている喜平の姿を見た人たちは、二つの大噴泉をオナメ、モトメと名づけ、その霊をとむらうために後生をかけて祈りつづけた喜平の心境をしのんで、後生掛というようになったということである。

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