武威市涼州区概要

更新日:2024年02月01日

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位置・面積・地形・気候

中国甘粛省の中部、省都蘭州市の北280キロメートル(車で約4.5時間)に位置する。シルクロードへの入り口である河西回廊の東端である。省都蘭州市に次ぐ甘粛省第2の都市。

武威市

位置

東経 101゜59'35"~103゜23'40"
北緯 39゜23'15"~38゜12'54"

面積

5,081平方キロメートル(東西122キロメートル,南北90キロメートル)
鹿角市の約7倍

地形

西南部

海抜 2,000メートル~4,800メートル
面積 1,758平方キロメートル(市土の34%)

中部平原区

海抜 1,440メートル~2,000メートル
面積 1,492平方キロメートル(市土の30%)
肥沃な土地で、主要な農業生産基地

東北部

海抜 1,500メートル~1,700メートル
面積 1,831平方キロメートル(市土の36%)

気候

大陸性気候で少雨、蒸発量が多い

人口と民族

総人口は、98万5千人(中心市街地の人口は16万人)。
民族は、漢族、回族、モンゴル族、チベット族、満族、朝鮮族を主とする25民族(95%が満族)である。

行政組織

1)区役所所在地

中華人民共和国甘粛省武威市涼州区東大街33号

2)地方行政機構

省級

甘粛省人民政府(国内22省)

地級

武威市人民政府

県級

武威市涼州区人民政府

郷級

郷・鎮(町村)

3)行政区画

9町、38村、6つの町内事務所で構成される。

4)予算規模

1億7,000万元(約21億8,000万円) 平成8年度。
税収は約半分の8,000万元、うち4,000万元を国税として国に払う。歳出内訳は農業3,000万元、教育・文化5,000万元、都市建設に400万元。(1元=約13.15円/2000年10月8日)

経済

1)経済

農業人口は約30万人。農地は国有であり、1人1反歩の借用となっている。農民1人当たりの所得は年間約2,240元。主産品は、小麦、トウモロコシ、あぶら菜、豆類、そ菜、瓜類、ひまわりの種、薬草による漢方薬等。収益の多いナンバン、キュウリの栽培に力を入れている。
ビニールハウス栽培が6年前から始まっており、トマト、メロン、キュウリ、西瓜、キノコ、豆を主としたハウスがあり年々需要が伸びている。また、ハウスの素材は、ウレタン・ポリ製品が使われてきている。そのほかに牛・馬・羊・豚等の飼育が行われ、収入源の一つになっている。

2)工業

国営、私営で218社、工業生産額7.7億元(約104億円) 平成10年度。

市内有力企業

  紡績業、製紙業、化学工業、食品加工業(市営工場が平成8年にオープン)、印刷業、建築資材業(セメント等)、毛皮・皮革加工業などがある。

市内有力企業名一覧
涼州皇台酒工場 1985年に設立し、従業員は3,000人、年間生産額約1億元。23種類の酒を作り、中国内で有数の酒造メーカー。
市建築資材工場 従業員700人(内20%は女性)、扱い品目は配水管、ヒューム管、タイル、セメント、陶磁など。原材料はすべて武威市内で調達している。

3)商業

3次産業総戸数 3,659戸
3次産業従業員数 49,368人
(武威市涼州区経済成長率 年5%~10%/都市部と農村部で差がある。)

4)主要資業

水 (地下水)電気(国営黄洋水ダム)鉱物(石炭、石膏、蛍石、花崗岩等)

5)その他

平成8年から温泉開発に取り組んでいる。市温泉計画委員会を設置し、保養施設建設等の対応を検討している。

歴史

4000年前から人が住み着いていおり、文明の発展に伴い、各民族に支配されることとなった。たびたび起こる戦乱によって春秋戦国時代以前は西戒(せいじゅう)地区と呼ばれ、遊牧民が暮らしていた。紀元前2世紀の秦代には月氏、紀元前3世紀には遊牧騎馬民族匈奴が統治していた。紀元前121年、漢の武帝が河西一帯を統治し、武威もその支配下に入る。その後、東晋十六国時代、北魏→北周→隋→唐→北宋(宋の時代は、西夏の統治下となる。)→元→明→清→中華人民共和国。各時代において交通の要衝“シルクロード”にあたるため、名勝旧跡が数多く残っている。

文化

古建物、古遺跡、古墓葬、石刻等160余、保存出土文物3万6千余。

特に有名な文化

文化財一覧
雷台漢墓 中国でも最も古い時代のものとされ、雷神を祭っていたとされる。1969年に東漢時代(25~220年)に製作された銅奔馬、銅車馬隊が出土した。中でも天馬「馬踏飛燕」は、武威市涼州区のシンボルとなっている。
文廟 明代に孔子廟として建設された古代建造物で敷地面積27ヘクタール。現在は、武威市涼州区博物館として約3千点の貴重な文物を収蔵・展示している。有名な「西夏碑」も文廟に展示されている。
海蔵寺 チベット式寺院で建造年は不明。現在の建築物は明・清代に修復されたものである。建築物の配置、規模が大きいこと等から、西涼時代の領主公邸と推定される。
西夏碑 1094年に「重修護国感応碑」という名称で建造され、高さ2.6メートル、幅1メートル、厚さ30センチメートル。碑の正面に西夏文字、裏側に漢字で刻字され、文字数は1,600字余り。西夏王朝(1038~1227年)は、189年続き、独自の文明を創り、独特な“西夏文字”を創造した。現在、西夏文字が完全な姿を留めているのは、西夏碑だけであり、国宝に指定されている。
鳩摩羅什寺塔 西域の高僧「鳩摩羅什(343~409年)」は武威市において17年間、仏学を広めた功績を称えて建設された。総レンガづくりで8角12層、高さ32メートル。
天悌山石窟 唐時代の石窟。高さ28メートルの大仏を始め、6体の仏像が顔面彫りされている

学校

関連施設・在籍数一覧
高等専門学校
(農業、師範、看護等)
6校
小・中学校 636校
教員 8千人
学生(小・中・高) 18万人
総合病院 6カ所
衛生学校 2カ所
病床数 2,190床
医師 3,571人

交通

市内は自転車、バイク、市外へは鉄道が主な交通手段であるが、自動車の普及が進んできている。また、軍用飛行場を民間への利用に供するよう検討している。蘭州市と武威市涼州区とを結ぶ高速道路が開通予定であり、一部は供用開始している。

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