十和田湖と八郎太郎
むかし、奥羽山脈のふもと草木(鹿角市十和田草木)に、八郎太郎という身長六尺(1.8m)、太力無双の雄々しい若者が住んでいた。八郎太郎は、深山幽谷をかけまわり、級(秋田の方言で「級の木」のこと)の皮をはぎ、それを売って両親を養い、生活を支えていた。
あるとき八郎太郎は、友達と三人で遠くの級の皮をはぎに出かけた。はるばる十和田湖へと向かったのである。近くに着くと、流れのほとりに小屋をかけ、代り番に炊事を引き受け、皮はぎの仕事をつづけた。
八郎太郎の炊事当番になった。水でも汲んでおこうかと思って、川のほとりへ下りて行くと、清流の中に岩魚が三びき泳いでいた。八郎太郎は、その岩魚をとって焼いた。三人で一ぴきずつ食べようとした。そのにおいはとてもよくて、二人の友人を待つことができず、少しばかりつまんだ。それは、この世のものとは思えないほどおいしかった。
「俺はまだ、こんなおいしいものを食べたことがない」と独言を言いながら、いつのまにか残りの二ひきも食べてしまった。すると八郎太郎ののどは、焼きつかんばかりにかわいてきた。そばに汲んでおいた水を飲んだが、かわきはとまらなかった。飲んだすぐ後からかわきがつきあげてくる。桶の水を空にしてしまったが、止みそうもなく、「ああ、どうしたのだ。死んでしまいそうだ」と言いながら、清流に口をつけたまま飲んだ。一時も休まず飲んだ。ふと顔を上げて流れの水面を眺めておどろいた。
「あっ」
なんと八郎太郎の姿が、火の玉のような目をした蛇身に変わっていた。
やがて帰ってきた二人は、「小屋に帰ろうよ」と言った。しかし八郎太郎は、「もう俺は魔性となった。水からはなれることはできない。親達によろしくな」と言い、三十余丈(90m余り)の大蛇となり、十方より流れる沢を堰止め湖を作った。
かくして八郎太郎は、静かで深く眠るがごとき紺碧の湖、十和田湖の主となった。
長い年月がすぎた。
南祖坊という修行僧がいた。弥勒の出世をねがって熊野詣をしていた。満願の夜、とろとろと社前でねむっていると、白髪の老人があらわれ、「おまえの願いを聞きとどけよう。しかし、そのため龍身となることじゃ。ここに鉄のわらじと杖をおく。杖のおもむくままに歩き、このわらじと同じものがあるところがおまえの永遠の住処である」と言って消えた。
南祖坊は津々浦々くまなくめぐり歩いた。そして、雄大で神秘の湖、十和田湖についた。ふと見ると洞窟の中にわらじがある。南祖坊は、「ここが、神様のお告げの場所か。ここを私の永住の住処とする」とつぶやき、絶壁に立ち、法華経を誦した。
すると湖底より、「どうして俗人の身でここへ来る。さっさと立ち去れ」と天地にとどろく大音響。
「お前は何者か。神様のお告げで私は湖の主となる」と、南祖坊は静かに答えた。
八郎太郎が、「ここは、俺の住処である。立ち去らないなら、ただ一飲みぞ」と言いはなつと、その怒号で天地がふるえ、山も崩れんばかり。荒れる湖上に、十六の角、ほのおのように燃える舌を捲き上げ、八つ頭をもつ大蛇が、南祖坊をただ一飲みとばかり飛びかかってきた。
けれど南祖坊は、あわてず静かに珠数をもみ法華経八巻をとなえ、大蛇めがけて投げつけると、一字一字が剣となってつきささった。法華経を衣の襟にさすと、九頭の龍身となり大蛇にむかっていった。
八郎太郎が着ているみのの毛一本一本が、小龍身となって南祖坊にかみつく。たがいにしのぎをけずる戦いは、七日七夜におよんだ。さしもの八郎太郎も鮮血を流しながら御倉山よりはいあがり、どこへともなく逃げ去った。
やがて湖面は、もとの静けさにもどり南祖坊は自籠の岩上で坐禅をくみ、念仏三昧の世界に入った。そして、今の占場より入水し、十和田湖は南祖坊の永遠の住処となったのである。
御倉半島の五色岩、千丈幕、赤根岩などは八郎太郎が血を引いて逃げたところで、赤いのは血痕の跡と言われる。
さて、十和田湖を追いだされた八郎太郎は、米代川を堰止め、鹿角盆地を湖にしようとした。鹿角の山々の切れ目は、男神、女神の間だけである。そこに毛馬内の茂谷山を持ってこようとした。しかし、大湯の集宮に集まった神々に阻止され、米代川を下り、八郎潟にたどりつき、主となったという。
更新日:2024年02月01日