光る怪鳥

更新日:2024年02月01日

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文明13年、今から約550年前のことである。

尾去おさりの村(鹿角市尾去沢)の奥の大森山から、光る怪鳥かいちょうが現われて近郷近在を飛び回り、村人たちを恐怖きょうふのどん底に突き落し、女や子供は夜歩きさえ出来なかった。

この怪鳥は、昼は大鳥となって現われ、左右両翼の長さ十余尋じゅうよひろ(約20m)、人を取って食わんばかりの勢いであった。口からは金色の火のごときものを吹き出し、そのえる声は牛のうなりのようであり、一度吼えるや山谷にこだまが響きわたり、山も崩れんばかりであった。

近郷の人々は恐れおおのき、毎日、不安な気持ちで生活していた。

しかし、この鳥は人を取り食うこともなく、ただ田畑を荒らし、夜中に飛びまわる姿を見ると、怪しく光って、不思議に身の毛のよだつさびしさを与える、実におそろしき怪鳥であった。

ますます勢いさかんな怪鳥に、恐れおののいた尾去の村人たちは、集まり話し合って、山伏やまぶし慈顕院じけんいんに怪物調伏ちょうぶく祈祷きとうを頼み、村人たちも残らず、毎晩毎晩、天に向かって一心に祈願きがんを込めることになった。

「南無、日天子月天子、あわれの大鳥を亡ぼして、諸人の安堵あんどを得さしめたまへ」と誠心誠意せいしんせいいを込めて、一同はひたすら祈り続けた。

ある夜、村人たちが祈っていると、大森山の方から、怪鳥がしきりに鳴き叫び、そして苦しみ悲しむ声が山谷をふるわせて響いてきた。人々はただひれ伏してその声を恐れるばかりであった。

だが、そのあとは不思議に怪鳥の声は途絶え、また、飛び回ることもなくなった。

人々は不審に思い、その怪鳥が鳴き叫び、苦しみ悲しい声を出した方をたずねて、山に登って行った。

山に入った人たちが赤沢川の流れにさしかかると、その川の水の色はいつもと違い、朱を流したように赤かった。村人たちは不思議なことがあるものと思い、「この流れを調べよう」と、さらに上流をたずねて黒瀧まで登った時に、思わず仰天ぎょうてんしてしまった。

そこにはあの怪鳥が朱に染まり、倒れ死んでいたのであった。村人たちは喜び勇んで、すぐにこの怪鳥を引き起こしてみると、そこには両翼の長さ十三尋(約24m)、頭は大蛇の如く、足は牛の如く、毛は赤く白くまだらな中にところどころに金毛、銀毛が生えている。背中や、首筋にはそこここに大きな傷がついていた。

腹の中を割って臓腑ぞうふを開いてみると、これまた不思議、胃の中には穀物、魚や虫、草の実のようなものは一物もなく、ただ金銀銅鉛の鉱石のみが充満して、輝くばかりの美しさであった。

「これはどうしたことだ」と村人たちは怪しみ、また、近郷近在の人々もこの話を聞いて「不思議なこともあるものだ」と大いに評判となった。

こうした様子をじっと見ていた尾去の村長むらおさが、しばらくしてから口を開いた。

「近頃、夢枕に白髪の老翁おきなあらわれ、私に新山を開けと告げたことが六度もあった。しかし、何山を開けとははっきりお告げがなかったので、私もどこにしようかと迷い、空しく月日が過ぎて今日になってしまった。今この怪鳥の死んだ場所こそ、神の教えたまう所であると思う。さあ掘ってみよう」というのであった。

このあたりの山は、神のお告げのとおり、どこを掘ってもまばゆい色に光り輝く金銀銅鉛の鉱脈を発見できた。

これは、今の田郡、横合、長坂、赤沢、西道、崎山、勢い沢、下夕沢などの大盛山一帯の地である。

これらの山々を総称そうしょうし、尾去沢と呼ぶようになった。また、これらの山々から鉱石がたくさん産出したので、尾去沢鉱山として全国に名高くなったのである。

こうして月日が流れた今でも、赤沢川の流れは赤く、とうとうと流れ続けている。

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